声を失うご家族・患者様へ
声を失うご家族・患者様へ、この病気の行く末
声を失うという手術を迫られた際
患者ご本人様、そしてご家族様はさぞ慌てることでしょう。
そして、その慌しさの中で、実際に声を失うということがどういうことなのか、声が健在な時点では、なかなか想像できることではありません。
ひょっとすると、患者様が年配の男性で、比較的無口な方の場合には 「普段からそんなに饒舌なわけでなし
まぁ、声が出なくなったところで
致命的に深刻な問題はないだろう。筆談もできるわけだし。」 と、本人様もご家族様も考えられているかもしれません。
しかし、実際に声を失ってしまった際に
その考えが間違っていたことに
気づかされてしまいます。
饒舌ではない年配の方ほど
言葉を発することのできない窮屈さを感じることとなります。
患者様自身が「筆談を面倒だ」と感じてしまうのです。
もともとメールやSNSなど、文体による会話に長けているタイプであれば問題ないです。
逆に、饒舌で相手の心情の機微に敏感なタイプであっても問題ないです。
しかし、メールなども得意ではなく
比較的、無口で朴訥な年配の男性患者様の場合、伝えたい気持ちを文章にすることを面倒と感じ、なんとか口の形などで言葉を伝えようとする傾向があります。
しかし、読唇術は本人が思う以上に非常に難しく
声を発しない言葉は思っている以上に伝わりません。
そして、「声を伝達できないことに、本人が多大なストレスを感じてしまう」ことになります。
そして、「言葉を受信してくれないご家族様にイラだち、八つ当たりのようにイライラをぶつけてしまう」ことでしょう。
こういった状況は、経験した後でしか、なかなかわかるものではありません。
私共もそうでした。「声を失った父がまさにそのよう」になりました。
しかし、幸いにも
私共は声を残すということを行えていました。
筆談で意思を伝えることを「面倒だ」と感じていた父も、自身の声である「ボイスリーダー」は、自身の一部と思ってくれたらしく積極的に活用し、コミュニケーションの不和は沈静しました。
声を失うということは
実際にそうなってしまうまで、なかなか詳細は想像ができないものです。
ただ、声を失った先にも
日々は、人生は続きます。
声を失う前の限られた貴重な時間、そこで何を成すか、同じ経験をしている方が少しでも多く、冷静に熟考していただけることを願います。
株式会社Voice Leader